千葉県文書館で開催されている「企画展 千葉県と疫病 –繰り返す脅威-」を見る機会がありましたので概要をご紹介します。展示では幕末期から近代・現代にかけての疫病に関する文書や絵図、資料がテーマごとに整理されていました。
開国して間もない安政5(1858)年、長崎に寄港した米国艦船からコレラがもたらされ全国に流行しました。火葬場に棺桶が積み上げられた様を描いた錦絵は当時の惨状を伝えています。人々はこの原因不明の疫病を”ころり”と恐れ、暴飲暴食を慎む・体を冷やさないなど一般的な養生と漢方薬のほかは、加持祈祷と護符にすがるほかありませんでした。展示されていた文書は知人とのやりとり、村の記録、神社から氏子への回覧などで、人・地域のつながりや地域の寺社の存在の大きさが窺えます。このような中、ころりで伏せった戌を他の干支の動物が見舞う図(由縁の友戌の見舞い、文久2(1862)年、戌年)など、クスリとさせられる絵図も残されています。
天然痘は古くから多くの人命を奪ってきました。これに対するワクチンである種痘は1796年に英国のジェンナーによって初めて行われた後、短期間のうちに世界に広がり、江戸時代後期には日本にももたらされ、佐倉藩ほか諸藩や幕府も普及に努めました。明治以降、種痘は政府・県のもとで更に推進されますが、種痘への不信から必ずしも順調ではなかったようで、明治30年の天然痘流行でも乳幼児の死者が多かったことが記録されています。県内での天然痘患者発生は昭和23年が最後(全国では30年)でした。
コレラは明治期においても複数回流行しています。県はこれに対し、明治19年に清潔確保・飲料水や食品の衛生・ハエ対策・患者隔離・集団での会食への注意などの訓諭を行っていますが、裏を返せばまだ社会全体に知識・習慣が根付いていなかったともいえるでしょう。しかし医療体制の整備、隔離病舎での隔離と治療、衛生知識の普及が進められたこと、病原体の発見などもあり、明治30年代以降のコレラの流行はある程度抑えられるようになりました。ペストやチフスなど他の伝染病に対しても同様の対策が推進されています。
第一次世界大戦中の1918年に出現した新型インフルエンザは「スペイン風邪」と呼ばれ、軍隊の移動などを通して瞬く間に拡大、大正7~10(1918~21)年の間に国民の40%が罹患、死者40万人弱と記録されています。ウイルスの存在が知られていない当時、ポスターを通じての政府の 呼び掛けは人混みを避ける、マスク着用推奨、発症時は部屋を分けるなど、現在とも通じるものがありました。他方、呼吸器(マスク)の価格を吊り上げて販売しようとした業者もあったようで、県が買い上げ廉売する旨の通知も展示されていました。
展示を通じ、それぞれの時代での制約の中でも、先人たちが様々なやり方で病気と対峙してきた姿を知ることができました。時代とともに国・行政の役割は拡大していますが、個々人・人とのつながり・地域の重要性は今後も変わらないでしょう。感染症の脅威は今後も繰り返し現れると思われますが、より多くのものを手にしている現代の私たちも、きっと乗り越えられると勇気づけられる展示でした。皆様も機会がありましたらぜひご覧ください。
情報:「千葉県と疫病-くり返す脅威-」令和2年10月1日~令和3年3月6日 千葉県文書館1階展示室(千葉市中央区中央4-15-7)入館無料
https://www.pref.chiba.lg.jp/bunshokan/contents/tenji/kikaku2.html
「健康さんぽ89号」
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